未完
『遊戯』を読んだ。連作短編なんだけど、これって藤原伊織の遺作なんだよね。「遊戯」「帰路」「侵入」「陽光」「回流」からなるんだけど、未完で終わっている。・・・らしい・・・。らしいってどういう意味かというと、俺さ、全然未完だってことに気づかなかったの。連作短編だからってのもあるんだけど、ちょうど余韻を残し、あそは想像してくださいってな感じで終わっている。巻末の解説を読んでびっくりした。となると、本当の結末が気になるよね。もうどうしようもないんだけどさ。そういえば、中島らもの『酒気帯び車椅子』も遺作だけど、未完って感じだったな。
そもそも、未完のものってのは人の心をくすぐるよね。曲や映画、美術品など。ただ、その後を継いで誰かが手を加えるってのはどうかと思うね。作者の情熱まで受け継ぐことができるのか、という問題ね。
病に倒れた、藤原伊織の作品を紹介した後でこんなことを書くのは、失礼極まりないのだが、意図的に未完に終わらせるというケースはないだろうか。予算がなくなったとか、意見が仲間と分かれただとか、それっぽい理由をつけて話題性を持たせたり。
うわさ程度で聞いた話なので、例えとしてとらえてほしい。5、6年前かな。
何か文句ある?
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント