リサイクル記事3
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『想像』2008年12月4日
僕の携帯に間違い電話が掛かってきた。小学1年生くらいの男の子だった。「お父さん・・・」泣いていた。切なくなり、思わず「そうだよ」と言いそうになったが「ごめんね。違うよ」となぜか謝ってしまった。「ほんとに?」「うん、違うよ」男の子はすすり泣く。「この番号はお父さんじゃないから、掛けちゃだめだよ」「わかりました。ごめんなさい」最後の男の子の声はか細いものだった。
何だか胸が苦しくなっちゃった。何故か。
そこからひとつのストーリーが浮かんできたからだ。
男の子の両親は離婚し、母親と2人で暮らすことになった。学校から帰っても母親は仕事から戻っていない。留守番中、男の子は机の引き出しから、一枚の写真を取り出し、肩車をしている父親の姿を見つめるのが、日課となっていた。「会いたいよ、お父さん」
いつからか、男の子は母親の前で父親の話をしなくなった。それは怒られるからではなく、母親が悲しそうな顔をするからだ。しかも、それは母親の父親への未練ではなく、自分が父親と一緒に暮らせなくなった責任を感じてのものだと、男の子はわかっていた。
ある日男の子は、固定電話の横に立て掛けてあった、アドレス帳の中に父親の携帯番号を見つけた。我慢できずに禁断の電話を掛けてしまった。大人の男の声を、電話越しに聞いた男の子は、相手が父親だと思い込んだ。実際には最後の8を6に間違えて掛けてしまい、全く知らない男だったのだが・・・。
「お父さん」と呼ぶと「ごめんね」と謝られた後に「違うよ」と返事が返ってきた。「もう掛けちゃだめだよ」とも言われた。男の子は「もうお父さんのことは忘れなさい」という意味に捉えた。「わかりました」と言った後「会いたいよ、お父さん」と、言うはずだった言葉をぐっとかみ殺した。電話を切ったあと男の子は涙が止まらなかった。そしてひとしきり泣いた後、僕、強くなるよ、と父親に誓ったのだった。
想像するのは勝手だろ!何か文句ある?
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