02 北村恭介

2011年5月10日 (火)

北村恭介16

 胸の中で何かがはじけた。俺はベッドから跳ね起き、細身のジーンズにカバーオールをはおった。玄関でブーツを避け、スニーカーを履き、つばの長いキャップをかぶった。乱暴に鍵をかけ、非常階段を三段飛ばしで駆け下りた。何がはじけたのだろうか。俺はどこへ向かって走っているのだろうか。自問するが自答できない。
 タビラが閉店してバーテンをやめた後、俺は探偵事務所を開設した。が、開店休業だった。もともと一匹狼で生きた俺にとって、情報網が必要な商売は無論、無理であった。食うためにバイトをした。どれも長続きしなかった。それでも、生きていけると思った。ただ、生きている実感はなかった。
 マスターのひとり娘ヒトミからは何度も携帯が鳴った。最後に会ってから1年以上経った今でも鳴る。だが1度も受けたことはない。俺が姿を消した頃は、俺にはヒトミと会話を交わす資格がないと思っていた。待ってろ、男を磨いてむかえに行く。そんな気持ちすらあった。だが、今では、ヒトミからの着信は、ただのおせっかいとしか思えなくなっていた。自分で転がり堕ちていくのがわかる。そんな日々だった。
 何がはじけたのだろうか。俺はどこへ向かって走っているのだろうか。わからない。
 少しさかのぼって考えてみる。何かがはじけたきっかけは何だったのだろうか。俺はベッドに寝転がり、地元情報雑誌を開いていた。数ヶ月前にバイト先から持って帰ったものだ。読んでいたというより、ただ眺めていた。俺はその雑誌の小さな記事に目が止まった。そして俺は跳ね起きたのだ。俺はあとどれほどの距離を走るのだろうか。

 たぶん、つづく・・・。

 俺の名は北村恭介。久々の登場で、少し緊張したが、何か文句ある?

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2010年5月12日 (水)

北村恭介VSひろやん5

 深夜のジョギングを終えると、クールダウンもそこそこに冷蔵庫から乱暴に缶ビール(正確には第3のビール)を取り出した。プシュッという音と共に、ほろ苦い香りが鼻腔をくすぐる。缶の中身をグラスに移す。その泡立つ琥珀色の液体を2秒ほど眺め、泡の表面がグラスの渕から少し低い位置になるのを待ってから、一気に3分の2ほどをのどに流し込んだ。ふーっ、と深く息を吐く。ストップウォッチの機能が必要なため、ジョギング時だけ使用しているGショックを、外しながら時刻を確認する。23:51。さっさとシャワーを浴びてしまおうと、残りのビールを飲み干した。身に着けていたものをすべて無造作に脱ぎ捨てると、ふと鏡に目が行く。体系が変わったような気がする。ジョギングの成果だろう。しかし、まじまじと眺めると、ランナー体系には程遠い。完成されるのは数年先だろう。それまで俺のジョギングは続くのか。
 そんなことを考えていると、携帯が鳴った。妻と子は眠っているので、あわてて着信ボタンを押す。「今、家の前にいる」遮光とレースのカーテンを重ねて空けると、そこには線は細いが決して華奢ではない男が立っていた。「上がれよ」おれは縁側の窓を開けた。そして「家族は寝てるから」と付け加えた。北村恭介はテーブルの上のビール缶で視線を1度止め、「俺もビールをもらえないか」と言った。「1本だけだぞ。長話する時間はない。それに家計も明るくはないんだ」「ああ、わかった」テーブルに着いた恭介にグラスを差し出すと、「そんな上品な飲み方はしない」と缶に直接口を付けた。
 恭介はなかなか話を切り出してこなかった。「話があるんだろ。だいたいの予想はつくが」俺はしびれを切らし話を促した。「俺の扱いはどうなってるんだ?」「やっぱそのことか。俺も悩んでるんだ」俺はそう言いながら灰皿を真ん中に置き、タバコに火を点けた。「家ん中で吸っていいのか?」「ああ、気にしちゃいない。築30年以上の中古住宅だ。ローンはまだまだあるが」恭介は一瞬、「ふっ」と人懐っこい笑顔を見せたあと、続けてタバコをくわえた。
 「で、俺の扱いだがな」「わかってるよ。悩んでんだよ」「出番が少ないとかじゃないんだ。毎日ブログを更新するのも楽なことじゃないだろう。それはいいんだ、あんたの都合で登場させてくれればそれでいい」「悪いな」「ただな。ここんとこ話に脈絡がなさ過ぎやしないか?」「そうだな。手詰まり感から抜け出せないんだ」「苦労してるのは理解できる。話が途切れるのもまあ、いいだろう。しかしな、バーテン辞めて探偵ってのは安直だろ」「本当にすまない」俺はタバコの火を消しながら、頭を下げた。「いや、頭を上げてくれ。謝ってほしいわけじゃない。これからのことについて話さないか?」「そうだな」「思うんだが、俺のシリーズは始まったころって一話完結だっただろ」「ああ」「あのころが良かったよな」「書いた本人もそう思うよ。ところが、俺には、毎回オチまでたどり着けるための知恵が足りなかった」「俺にも責任があるのかもしれないな」「そんなことはないさ。恭介は自由に暴れてくれればいい。ただ、俺にはそれを表現する力量がない。根気もそうだけど」「力量なんて気にするなよ。誰もあんたに大袈裟なものは求めていない」「百も承知さ。でも、わずかだがコアなファンもいるんだ」「それは俺も感じている。だからこそ、安直なのはまずいんじゃないのか」「何度も言うなよ、わかってるよ」俺は少し不貞腐れた表情をつくり、冷蔵庫から缶ビールを2本取り出した。恭介は1本を受け取り、音を気にしながらプルタブを開けた。「明日仕事じゃないのか?」恭介が気遣った。「仕事だよ。でも、お前の悩みは俺の悩みでもある。少しでも今夜中に解決させよう」「ありがとうよ」「ところで、お前の明日の仕事は?」俺が訊ねると恭介は立ち上がり、「だから!また探偵をしろってのかよ!俺はあんたの都合でどうにでもなるんだろ!」と声を上げた。俺は妻が起きて来るんじゃないかと、冷や汗を流した。「冗談だよ、冗談。あまり深刻になりすぎてもいいアイディアは出ないからさ。何か文句ある?」「大有りだ、まったく」
 恭介よ、朝妻が目を覚ますまでは語り合おうぜ。

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2010年2月16日 (火)

北村恭介15

俺の名は北村恭介。つい先日までひとつの店をまかされ、バーテンダーをしていた。今は探偵をしている。なぜかというと、それは作者の気まぐれだ。年齢は20代後半から30代半ばらしい。これも作者の都合によるものではっきりとはしていない。腕時計はタグホイヤー・グランドカレラ17RS。作者と同じものらしい。作者の都合だらけだが、転職してさらに暴れまくるぜ!

探偵業開店3日目。とはいうものの、探偵をやってみようか、と思いついてから3日たっただけの話で、営業活動や宣伝など全くしていない。当然、どこの誰にもしゃべった覚えはない。なのに依頼がやってきた。不思議な気がしたが、でも、依頼主が、以前北村恭介5で俺とトラブった邦海フードの社長だったので納得もした。蛇の道は蛇というわけか。社長は俺が『タビラ』のバーテンダーをやめたことは知らなかったようだ。当然ながら探偵を始めたことも知らない。

「呼び出してすまない」「かまわない」「おい。席を空けろ」社長は、どう見ても用心棒としか思えない、付き人を部屋の外へ乱暴に追い払った。「『タビラ』は閉めたのか?」「ああ、ちょいとわけありでね」口が裂けても、作者の気まぐれだとは言えない。あまく見られるのがオチだ。「うちに来ないか」「お断りだね。俺はあんたの正体もよくわかっていない」社長はソファーに腰を深く座り直し、「まあ、いい。それより頼みがあるんだ。こいつを探してほしい」そう言うと社長はスーツの内ポケットから写真を取り出した。女だ。「探偵をやれってか」初仕事になる。好都合だ。「あんた以外にも、探している奴はいるのか?」「それは必要な情報か?」「危険度が違うもんでね」「相手はヤクザだ。いやか?」あんたもそれに近いだろ、という言葉は飲み込んだ。「問題はない。報酬は?」社長はテーブルに札束を音を立てて置いた。おそらく100万だ。「これが必要経費で、成功報酬が500万だ」「悪くねー」写真を取り上げ女の顔を見た。30代前半か。いい女だ。関係を訊こうと思ったがやめた。任務には必要がない。「吉報を待ってろ」立ち上がり背を向けた。ドアノブを握ろうしたとき、後頭部に声が掛かった。「自信はあるのか?」「なかったら引き受けない」部屋を出ると、用心棒が、ドア越しに聞き耳を立てていた姿勢を、あわてて整えた。ビルを出ると、女の写真を取り出した。「見覚えあんだよなー」まじまじと見ながらつぶやく。

なんだかおもしろくなってきやがったぜ。だけど、『北村恭介16』には続かないかも知れない。何か文句ある?

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2009年11月28日 (土)

北村恭介VSひろやん4

タグホイヤーのカタログを眺めていた。CAV511B.BA0902のページだ。そのボリューム感がありながら、上品で美しい姿に魅了されている。59万。なんとかならないものか。財布からゴールドのクレジットカードを取り出し、キャシングすべきかと悩む。スムーズに返済ができるだろうか。考え込んでいるとドアフォンが鳴った。「開いてるよ」玄関がやや乱暴に開き、乱暴に閉まった。細身だが決して華奢ではない男が入ってきた。北村恭介だ。恭介はテーブルに置いてある、ホイヤーのカタログとクレジットカードを見て、「やめとけよ」と言った。「悩んでるんだ」「たかが時計だろ。時間さえわかりゃそれでいいじゃないか」「おまえだって、タグホイヤーだろ。スポーツエレガント。16年前の」「それは俺のせいじゃないな。俺はあんたが作ったキャラクターだ。しかも、安易に作者と同じものを身に付けている」「そうだったな。すまない」恭介は俺の正面に腰を降ろし、セブンスターに火を点けた。俺もつられてマイルドセブンに火を点ける。「禁煙したんじゃなかったのか?ブログでえらそうなこと言ってたよな」「まあ、それを言うなよ。やめられるもんなんらハナっからこんなヘビースモーカーになってないぜ」「それもそうだな」俺は煙を吐きながら、恭介を禁煙させるって話も悪くないな、と考えた。「なにニヤけてんだよ」「なんでもないよ。まあ、今のうちにいっぱい吸っとけ。ところで、今日は車で来たのか?」「俺は車を持ってるのか?そんな話はなかったと思うが」「持ってるだろ。北村恭介2でおまえは車を運転している」「そうだったかな。今日は歩きだ」「じゃあ、飲むか?」「やめとくよ。タビラを開けなきゃなんない」「意外と真面目なんだな」そう言いながら、恭介の責任感に感心した。「コーヒーくらいは入れるぜ」「すまないな。しかしよう、マスターに何があったんだ?前回の北村恭介14で血まみれになってただろ」「まだ何も考えちゃいないんだ。続きがあるかどうかもわからんし」「無責任だな」「誰にも迷惑はかけてないだろ」俺は自分のコーヒーにミルクと砂糖を入れた。恭介はブラックだ。恭介は汚すまいと、ホイヤーのカタログを閉じ、テーブルの下に置いた。俺は猫舌だが、恭介はそんな設定にはしていない。案の定、俺は口を付けずにいるが、恭介は何のためらいもなく、ひと口目をゴクリと飲んだ。「そんなことより、痩せたよな」「ああ。頑張ってんだ。ビリーズブートキャンプの成果だ。もっとも、油物は控えてはいるがな」「そりゃいい。でも、ビールは飲んでんだろ?」「それは止めらんねー」「だろうな」俺は2本目のマイルドセブンに火を点けた。すると、今度は恭介がつられてセブンスターに火を点けた。ゆっくりと煙を吐き出す。窓に目をやる。もう暗くなりはじめている。俺は腕のタグホイヤー・スポーツエレガントを見る。恭介と同じものだ。「店はいいのか?」「そろそろ行かなきゃな」恭介は残りのコーヒーを一気に流しこんで立ち上がった。「さあ、働いてくるか」「もめごとはやめてくれよ」「それはあんた次第だろ」恭介は玄関に座り込み、ワークブーツの紐を結ぶ。「何か用事があったんじゃないのか?」「たいした用事じゃなかったんだ。ただ、ブログ1周年おめでとう、って言いたくてよ」「なんだ、そうだったのか。俺が訊かなきゃ、言いそびれてたな」「俺もあんたに似て照れ屋なもんでな。何か文句あるか?」そういうと恭介は乱暴に玄関を開けて出ていった。

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2009年10月26日 (月)

北村恭介14

何も考えてはいなかった。ただ酒を飲んいた。カナディアン・クラブだ。好んで選んだわけではない。ただ手の届くところにあっただけだ。ストレート。食道から胃にかけて熱い線ができた。またグラスに注ぐ。口に運ぶ。繰り返し。最近の『タビラ』の閉店後はこんなふうに過ごす習慣になっていた。このまま2時間くらい。しかし、今日は違った。扉がノックされた。木製の重量感のある扉だ。酔っ払いのいたずらだと無視することにした。しつこくノックされる。琥珀色のウイスキーをまた胃へと流す。タグホイヤーの腕時計に目をやる。3時10分。そろそろ帰るとするか。照明を落とし、ノックの止まない扉を避け、勝手口から外に出る。まだまだ序の口なのだろうが、11月の声が聞こえ始めると、さすがに夜中は寒い。20年以上着ているソルティードッグのGジャンの襟を立てる。階段の下から入り口の扉に目をやる。するとそこには、全身血まみれの男が座りこんでいた。「マスター!」俺は叫んだ。血まみれの男はマスターだった。駆け寄る。血は自分のものと、返り血が混ざっているようだ。「どうしたんですか?」「に、逃げろ。それを言いに来た。とにかく逃げろ」「どういうことなんですか。救急車呼びますね」「いいから、早く逃げろ!」マスターの気迫にたじろいだ。踵を返し階段を見下ろした。男が二人。上り口で行く手を塞ぐ。マスターの舌打ちが聞こえる。「マスター、あいつらが?」「そうだ」鍵を差し込み、木製の重量感のある扉を開け、マスターを『タビラ』の中に入れた。照明を点けるとマスターの肩口に刃物の傷があった。深い。「なんですかあいつら?」「俺を誰かと勘違いしているらしい」「誰かって?」「麻薬組織の連中だろう」俺は前回の『北村恭介13』で刑事にもらった名刺を破り捨てたことを後悔した。だが、名前は覚えていた。警察に電話を掛ける。名前を告げ、事情を口早に説明し、東山に繋ぐように促した。だが、あいにく留守だった。扉が蹴られる。二人が蹴っているのがわかる。しかし、もうすぐ警察は来るだろう。「マスター、これでよかったんですよね」「あ、ああ」心なしか満足という顔ではない。店の電話が鳴る。「北村さんだな」東山だった。「そうだ。早く来てくれ」「もう、店の前だ。サイレンは止めてある」数人が階段を駆け上がる音がしたかと思うと、揉みあう音に変わった。そして誰もいなくなった。一瞬の出来事だった。重量感のある木製の扉がノックされた。「開けてくれないか」東山だ。扉を開ける。「北村さん、頼りにしてくれてうれしいよ」俺は返事をしなかった。「話してもらおうか」「いや、マスターを病院へ連れて行く」「それは我々がする。おい」東山は後ろに立つ部下らしき男に顎をしゃくった。マスターは近寄る部下を肘で払いのけた。「刑事さん、俺は大丈夫だ。話は俺がする。恭介は関係ない」「じゃあ、聞かせてもらおうか」

気が向いたらつづく。何か文句ある?

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2009年9月29日 (火)

北村恭介13

『タビラ』に向かって歩いていると、いきなり背後から肩をつかまれたので、振り向きながらその手を振りほどき、一歩半ほど下がって防御の姿勢をとった。立っていたのは刑事だった。見覚えがある。何度か、チンピラのいざこざに巻き込まれたときに見た顔だ。緊張がとけた。同時に、防御の姿勢もといた。やましいことに覚えはない。「北村恭介さんだな」さん付けで呼んだくせにエラそうな口調だ。「そうですが」「聞きたいことがある」「これから仕事なんですが」「時間はとらない」「任意ですよね」「そうだ」「じゃあ断ります」「歩きながらでいい」俺は、ふうー、と大きく息を吐き、小さくうなずいた。歩く方向を変える。店の近くを避けるためだ。警察をけむたがる人もいるだろうし、妙な噂が立つのも御免だ。刑事は1枚の写真を取り出した。「この男に見覚えはないか?」あった。写真の小太り中年男は、常連というほどではないが、何度か店に来たことがある客だ。最後に来たのは2週間くらい前だ。しばらく思い出そうとする素振りをする。「どうだ?」「さあ?」「よく見ろ」「こんなおっさんどこにでもいるよ」もう写真は見なかった。刑事も写真を内ポケットに仕舞った。「この男、10日前にお前の店に来ただろう」刑事の横柄な態度が鼻につく。「知ってんだったら聞くなよな」「隠す必要はないだろ」刑事の右の眉が吊り上った。「ひとりだったか?」たしかもうひとり男がいた。初老で、身なりがきれいだった。「覚えてないな」俺は立ち止まり、タバコに火を点けた。「年配の男と一緒だったはずだが」「だから、知ってんだったら聞くなって」刑事もタバコを取り出した。「お前こそ覚えてるならちゃんと話せよ」刑事がタバコに火を点けようとしたのを見計らって、俺は歩き出した。刑事はタバコに火を点けてながら歩いた。何度もライターを擦る音がした。「知ってることは話す、なんて約束はしてないから」刑事は舌打ちをした。「今度、あの男が店に来たら連絡しろ」刑事はそう言うと、名刺を差し出してきた。俺は受け取りながら「この名刺もらっていんですか?」と尋ねた。「ああ」刑事がうなずくと、俺はその名刺を4枚に破き、肩越しに投げ捨てた。「てめえーっ!」刑事が顔を寄せる。俺はさらに寄せる。「人にものを尋ねるなら言葉遣いに気をつけろ。できねーなら、毎日、店でずっと酒を飲んで張り込んどけばいい。それに」「それに、何だ?」「俺が刑事の助手なんかしないってことくらい、知ってただろ。知ってることなら言うんじゃないよ。同じこと何回も言わせるな」俺の名は北村恭介。何か文句あるか?

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2009年7月26日 (日)

北村恭介12

イライラしていた。『タビラ』の売上げも思うように伸びず、ヒトミともぎくしゃくしている。いっその事、女の子を数人雇って客を呼び込ませようか。いやいや、色気で寄ってくる客に、飲ませる酒はここにはない。『タビラは』純粋に酒を愛する客の店だ。しかし、商売となると・・・。俺のイライラは今にはじまったものではない。この数週間ずっとだ。今日も開店時間が来ても客の入りはない。「ヒトミちゃん。ちょっと出かけて来る」ヒトミが厨房から顔を出す。「出かけるってどこによ。お客さん来たらどうすの?」「来やしねーよ」俺は投げやりに言うと店を出て木製のドアを乱暴に閉めた。階段を下り、ビルをでようとしたら、入り口のまん前にいかにもといった黒塗りのベンツが停めてあった。体を横にカニ歩きでないと出られないくらいに寄せてある。俺は背中を壁にこすりながら、ビルを出た。これでは客が入って来れないではないか。迷惑もいいとこだ。ワックスのよく効いたタイヤをつま先で蹴る。すると、待ってましたと言わんばかりに、運転席から、これまたいかにもといった感じの、パンチパーマの男が降りてきた。体格はごつい。「おい、兄ちゃん。何すんねん」「は?」40前後か。いい年してまったく。「何か?」「今、蹴っただろう」「蹴った」パンチパーマの顔色が変わった。「コラ!どないすんねん。壊れたやろうが」「どこが?タイヤが?そもそもこんなとこに車停めて、迷惑って言葉知らないの?馬鹿じゃないの?」「何だと!もういっぺん言ってみろ!」パンチパーマの声がでかく、通りに人だかりができた。「聞こえなかったなら、もう1度言うけど、馬鹿じゃないの?というより、馬鹿だね」「てめえ」パンチパーマの右拳が向かって来た。モーションは遅い。身をかがめる。拳は空を切る。「拳を振る前に言葉を発するのは、今から殴りますよー、の合図になるから、やめたほうがいいですよ」野次馬の中から、小さな笑い声があった。パンチパーマは鬼の形相になり「くそったれ」と言って今度は左拳を振ってきた。俺が体を後ろに反らすと、また拳は空を切った。「同じことする。やっぱり馬鹿だ」野次馬の笑い声は大きくなっていた。パンチパーマは冷静さを完全に失い、頭から突進してきた。俺は丁度いい距離で膝を突き上げた。ゴスッ。鈍い音がした後、パンチパーマは仰向けに倒れた。俺はベンツのサイドミラーをつま先で蹴り上げ、へし折った。そして鼻を押さえ座り込むパンチパーマに顔を近付け「俺はウソはついていない。お前は馬鹿だ。迷惑ということをしらない。顔にも馬鹿と書いてある、見てみろ」俺はへし折ったサイドミラーをパンチパーマの胸元に投げた。喉が渇いたな。ビールでも飲もう。野次馬をかき分け通りにでると、マスターの姿があった。俺は踵を返し『タビラ』に戻ることにした。俺の名は北村恭介。何か文句あるか?

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2009年6月18日 (木)

北村恭介VSひろやん3

焚き火台に薪を足していると、線は細いが決して華奢ではない男が「ここにいたか」と背後から声をかけてきた。予期せぬ出来事に少しとまどいながら俺は「よくわかったな」と答えた。北村恭介は勧めるまでもなく隣のチェアに座り、星を眺めた。「みんなは?」「もう寝たよ。ひとりの時間を楽しんでいたんだ」俺はオンザロックをわざとカランと音を立て口に含んだ。食道から胃にかけて熱い線が引かれた。「それは悪かったな。じゃあ、俺には酒はでねーな」「どうせ車だろ。どっちにしても酒は出さない。テントでも張るなら別だが」「勘弁してくれよ」恭介は頭を振った。「しかし、キャンプを始めるとは思いもしなかったよ」「俺自身もだよ」俺がグラスを口に運ぶと、恭介はそれを羨ましそうに見た。「でも、わかるような気がするぜ。こうしてると何かほっとするのも事実だ」恭介は焚き火台に薪をくべた。「無理に理解しようとしなくていいよ」俺は恭介がくべた薪を置き直した。「それより、こんなとこまで来るってことは、余程のことがあるんだろう?まあ、想像はつくけどな」「だったら話が早い」恭介は腰を浮かせ、チェアを俺の方へ向けた。俺はそれを横目に焚き火台を眺め続けた。「ヒトミのことだろ?」「それもだが・・・」「ストーリー的なことか?」「そうだ」「それはな、俺も路線を見失っているんだ」「作者の気持ちはわかるよ、ここんとこ俺はしがらみが多い」確かに心なしか恭介に活気がない。俺はウィスキーを注ぎ足した。「いっそうのこと『タビラ』から場面を変えてみたらどうだ?」「それもなあ。ヒトミはどうするんだ?惚れてんだろ」「女なんていくらでもいるさ」「まあ、悪いようにはしないさ。打開策を練るよ。このまま考えあぐねていてもしかたないから」大きな蛾が恭介の鼻先を横切った。舌打ちが聞こえた。「虫さえいなきゃ俺もキャンプを考えてもいいな」「やめとけ。北村恭介には似合わんよ」俺は少し笑った。「でも、『北村恭介』ってあまり読まれてないんだろ?」「みたいだな。先日もずっと以前から、毎日ブログ見てるよ、って言ってる奴が『北村恭介』ってなんなん?って訊いてきたからな」恭介は笑った。「訊かれても困るよな」「だろ?それに、ブログ読んでないなら読んでないって言えばいいのに」「確かに・・・。でも、そいつの気持ちもわからないでもない」「ああ」俺はうなづいた。隣のサイトのテントの明かりが消えたので、俺は焚き火台の薪の量を少なくした。「ってことは、ストーリー的に無理があっても、つまり、シーンが突然『タビラ』でなくなったとしても大きな影響はないってことじゃないのか」俺は苦笑いしかできなかった。「そう言うなよ。ひずみは最小限にしたいんだ。お前にそんなこと言わすってことは、既に、突然シーンは変わりますよって宣言してると疑われかねない」「大変だな」「自分で撒いた種だ」焚き火台の炎が消えたと同時に恭介は立ち上がった。「いい話ができてよかった。安心したよ」「主人公に気を使わせて悪いと思ってる」「じゃあ」「キャンプが本気ならタイトルを『キャンパー恭介のアウトドアライフ』にしてもいいぞ」「冗談だろ」そういい残し、恭介は闇の中に消えた。俺は焚き火台にもう1度火を起こし、薪をくべ、新しいオンザロックを作った。そして「何か文句ある?」とつぶやいてみた。

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2009年6月 8日 (月)

北村恭介11

開店前の『タビラ』に髭面の男が何の遠慮もせず入ってきた。そして何の遠慮もなく、カウンターに腰を降ろした。「恭介。お前ヒトミと結婚したいって言ってたが、当然もうヤってんだろ?」「や、ヤってません」マスターの突拍子もない質問に俺はあせった。しかし、とっさの答えはウソではなかった。事実まだだった。「さっさとヤレ」俺は返事をしなかった。「父親の俺が言うのもなんだが、いい女になった。あれは処女だ。早いとこ自分のものにしてしまえ」そんなこと言われても困る。以前マスターの邪魔がなければ雰囲気はあったのだが、今は店のことで精一杯だ。「それはそうと、新しい店、たくさん客来てるみたいですね」俺は話をそらした。「新しい店って言い方はよせ。俺はあそこしか店を持ってない。ここはお前の店だ」「そうですね」「それより、こっちの店はどうだ?」「いまいちですね」俺はうつむき、後頭部をかいた。「だろうな。この辺では静かに酒が飲めなくなった。俺はそれが嫌で向こうに店を持った。ここにいた客も同じで、みんな向こうに来てくれている」「でしょうね。こっちもなんとかしないと」泣き言ではなく、そう思った。「ここではここのカラーを出せばいい。お前はお前のカラーを出せばいい」「ヒトミのカラーもですよね」「そうだ。しかし、色気を商売に使うな。そんなもんは長続きしねえ」「そう思います」マスターは軽くうなずき、キャメルに火をつけた。「何か酒は出ないのか?」「マスターこれから開店でしょ」俺はいたずらっ子のような笑顔をつくって見せた。「それもそうだな」マスターは、まだ長いキャメルを灰皿で揉み消し、立ち上がった。「がんばれや。家賃はビタ一文負からんぞ」「はい」俺は後姿に頭を下げた。さっさとヤレ、か。マスターの言葉を耳に残しながら、テーブルを拭く。「私がやるわ」ヒトミが台ふきを取り上げた。「ありがとう。いつからいたの?」「今来たとこよ。少し遅刻ね」「開店までまだ時間あるから」俺は棚のボルトの向きを直すことにした。客が少なければ、酒の減りも少ない。仕入れ量が少なければ交渉単価も上がる。悪循環の構図を思う浮かべた。ヒトミは丁寧にテーブルを拭く。拭き跡までも気にする。そんなヒトミを見つめる。身を屈める後姿。膝上までのスーツスカートにパンティーのラインが写る。純白のブラウスにはブラが透ける。俺はそっと背後から近づいた。抱きしめようよした瞬間、ヒトミは振り返った。「さっきの話聞いてたんだからね」俺は、そそくさと、カウンターに戻った。不条理な話だ。まあ、いいかあせらなくても。ヒトミにその気がないわけではないだろう。「こんなところじゃ嫌よ。ムードがないもん」俺の名は北村恭介。何か文句あるか?

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2009年5月21日 (木)

北村恭介10

客がいる間は、余程強いられない限り酒は飲まない。今夜も、最後の客が帰り、グラス一杯の酒を飲み、店を出る。『タビラ』から俺のアパートまでは徒歩で20分。自転車は使わない。日常の運動といえばこの往復くらいだからだ。歩きながら店の今後につて考えた。事実上俺が経営者となり、マスターには家賃だけを払う。ヒトミが各手続きや経理について引き継ぐようになっている。あの2人が大好きだ。ことにヒトミに対しては異性としても・・・。アパートの隣の金物屋。閉じられたシャッターを数人の若い男が、順にとび蹴りをしている。俺は一瞬、注意をしようか迷ったがやめた。酔っ払っている。4人。俺はそのクソガキを横目に通り過ぎようとした。しかし、次にとび蹴りをしようとしている男が、助走のために後ろ向きで歩いてきたため、肩がぶつかってしまった。男はバランスを崩し、すとん、と倒れた。「わるい、すまん」俺は謝った。だが、これが間違いだった。甘く見られた。酔っ払いは、意外と無謀なケンカはしない。店で何度も見てきた。男は立ち上がり俺の胸ぐらを掴んだ。「なんだてめー」息は酒臭い。「離してくれ。疲れてんだ」3人が俺を囲む。加勢する気もないが、制止させる気もないらしい。「あやまれ」胸ぐらを掴む拳に一層の力がこもった。「真っ先にあやまっただろう」「なんだと」指摘されたことが素晴らしいくらいはっきりとした事実であるため、男は逆上しそうだ。俺は「ちっ」と舌打ちし、胸ぐらを掴む男の手首を左手で払いのけ、右の拳を、男の左頬に打ち付けた。ごすっ、と鈍い音がし、男は膝から崩れた。3人の男が詰め寄ってきた。しかし、何も仕掛けてはこない。「ひとに迷惑をかけるな」俺は3人と、ボコボコにへこんだシャッターに目をやった。「この金物屋のオヤジが生意気でよう」「そうだここのオヤジがわるい」「昼間に彫刻刀を買いに来たら、オヤジが売ってくれなかったんだ」「なんでだ?」「遊びに使うようなものは、ここにはないって」「なんに使うんだ?」「版画だよ、版画。今度の課題は気合入れて取り組みたいんだ」「そうか。それで酒飲んで報復に来たってわけか。お前ら大学生か?」「〇〇美大だ」「歳は?」「20歳だ」「酒は好きか?」「好だ」3人が答えた。俺は胸ポケットから『タビラ』の名刺を取り出し、1人に渡した。「今度そこに来い。酒の飲み方を教えてやる」背を向け歩き始める俺に声がかかった。「あのう・・・」俺は振り向き言葉を遮った。「シャッターは見なかったことにしてやる。もう帰れ」俺は、ろくに酒も知らず酔っぱらうガキも嫌いだが、不条理な頑固オヤジも嫌いだ。俺の名は北村恭介。何か文句あるか?

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